上野 / 御徒町
 ブランドショップなら銀座、華やかなネオンに繰り出すなら新宿や渋谷。でも古いものと新しいものが渾然一体と残る雰囲気にひたりたいなら、上野はどうだろうか。まずは上野の中心、上野駅を訪れてみよう。
上野駅
1883年夏に作られて以来123年間、東北地方からの玄関口、上野駅。かつて東北から仕事を求めて上京する人たちにとって、上野駅は、ヨーロッパからの移民を迎えるニューヨークのエリス島だったことだろう。今でも、特に成田空港からスカイライナーで東京を訪れる外国人にとっては「最初の到着地点」である。北への新幹線の最初の停車駅でもある。上野公園への最寄り駅でもある。
 上野公園
文化芸術の殿堂、上野の森。東西に伸びる上野公園だが、実は病院の建設計画が進められていた。オランダ人医者ボードウィン博士がすぐれた自然が失われるのを惜しみ、公園づくりを明治政府に1868年進言。日本初めての公園が誕生した。東京都美術館の前にボードウィン博士の銅像がある。旅行者だけでなく、サイクリングや散策を楽しんだり、美術館やコンサートに行く人たちでにぎわう。美術館という観点では上野公園は他の追随を許さない。かつて寛永寺があった広大な縦1200m横500mの敷地には主なものだけでも6施設あり、芸術、歴史、化学、文化に触れることができる。
1868年5月中旬、江戸城の無血開城の決定にもかかわらず、それを不満とする徳川方の一部の幕臣は寛永寺に集結。官軍の総攻撃を受け2000名あまりの部隊は壊滅。無血開城のために奔走した西郷隆盛像近くにひっそりと葬られた。戦いのさなかにあがった火の手は、寛永寺のおもな建物やまわりの約1000戸の家々を焼き尽くした。地獄絵図はこれで終わらなかった。1923年の関東大震災。そして第二次大戦終結間近の1945年3月のアメリカ軍による大空襲は東京を焼け野原にした。1940年代後半、戦争孤児たちが住んでいたといわれる上野駅の地下道に避難し助かったものもいるという。
上野公園を訪れる人々が最初に目にする像かもしれない西郷隆盛像は無傷で残った。真偽は定かではないが、西郷夫人はこの像に不満があったといわれる。隆盛は写真を撮られたことがなく、しかも、像は鹿児島での死後17年後に建てられており、夫人によればこの像は隆盛ではなく彼の弟をモデルにしているらしい。いろいろな歴史を背負った上野公園は、辞書での「公園」の定義以上のものを感じさせる。
JR上野駅改札口の向い側にある正面入口から入ってみよう。左手には東京文化会館、右手には国立西洋美術館。入口を入ってすぐ右にある公園緑地事務所に寄って地図や美術館ガイドを手に入れるのがお薦めだ。上野動物園(1882年オープン)正門へと続く広い通りには300mにわたり何百本もの桜が植わり、毎年春には東京っ子たちが2週間にわたり花見へと繰り出し宴会で賑わう。国立西洋美術館を過ぎ最初の角を右へ曲がると、国立科学博物館。恐竜の骨格や宇宙の石が目を引く。建物自体も飛行機をイメージしている。
科学博物館の正面入口の向いの木立の中には、黄熱病の研究などで世界的な知られる科学者、野口英世(本名:清作)像がある。左手の火傷でいじめを受け、皮肉にも東京の科学・医学権威とも折り合いが悪かった野口は、アメリカへ渡り研究生活を送った。1928年黄熱病にかかり死亡、ニューヨークに葬られた。科学博物館を過ぎ、左に曲がると右手に東京国立博物館、その後ろには江戸時代の歴代将軍が眠る寛永寺の霊園が見えてくる。東京国立博物館は、東京だけではなく日本の最も素晴らしい博物館のひとつで、本館を見て回るだけでも1日以上かかるだろう。東洋館(日本以外のアジア美術品を展示)や表慶館(国内の考古物を収集)、法隆寺宝物館(仏教関連宝物を展示)など、国内外の貴重な美術・工芸品を見ることができる。
博物館の前の道はコンクリートの並木道で、上野公園の中心を通り噴水へとつながる。右手木立奥には東京都美術館。1926年に建てられ、地下にも多くの施設がある。その隣は上野動物園。明治15年にオープンした日本初の西洋式の動物園として今でも有名だ。4月29日みどりの日は明治天皇の孫、昭和天皇(1901-1989)の誕生日だが、入場無料になる。東園と西園に分かれ、遊歩道またはモノレールでつながっている。西園のある傾斜地は不忍池へと下っていく。有名な不忍池。かつて東京湾から伸びる入り江の一部だったが、長い年月を経て海から切り離され、今では淡水の池になった。蓮の花が美しく、ボートを楽しむ人たちも。19世紀後半、池の周り2.5kmのコースで競馬が行われたことがあった。しかし9年で中止された。池の中央には弁天堂。関西地方の琵琶湖にある弁天堂を真似たものといわれる。寛永寺が17世紀初頭から半ばに建てたともいわれる。1945年の空襲で焼け、13年後に再建された。
不忍池の角には、小さいが非常に面白い下町風俗資料館がある。1860年から1920年にさかのぼる展示物を実際に手にとって見ることができる。実物大の店や家の模型などから、江戸(かつての東京)の庶民の生活の様子が垣間見られ、料金も安くお薦め。
 アメ横
下町風俗資料館からジグザグの道を通り、京成上野駅の脇を過ぎ、JR上野駅へ。もしくはアメ横へ。アメ横は現在の日本で最も有名な通りのひとつだろう。掘り出し物を探す人たちでいつも賑わうアメ横(正式名称:アメヤ横丁)だが、新年を迎える年の瀬は、超安値の鮮魚などを求める人たちでさらにすごい人出となる。もともとは、ここにアメ(飴)屋があったからアメ横といわれるようになったらしい。食べ物を中心に、野球帽から日用品までありとあらゆる店がJRの高架に沿って400mほど続く。一方、線路の反対側、アメ横と丸井シティの間にはバーやレストラン、店などがひしめきあう。
御徒町
上野公園から続くアメ横は春日通の御徒町駅で終点。通りが広く、混雑もましになり落ち着いた気分が戻ってくる。JRの駅から蔵前方面、国道4号線を横切るあたりまでの碁盤状の通りには、金や銀、ダイヤモンドなどの貴金属店が並ぶ。かつて銀座は銀を作っていたのでそう呼ばれたのに対し、このあたりは正式にそのような貴金属の名称で呼ばれたことはないのだが、魅力的な貴金属店が立ち並ぶ。
宝石のほかにも、国道4号線に沿ってディスカウントショップがある。奇妙な紫色のビルの多慶屋は有名。日用品やスポーツ用品などありとあらゆるものが揃う。毎日値引きがあり、時間を見計らっていくといい。何を買ったとしてもきっと安いものが手に入るだろう。駅の方向へ戻り、線路をくぐると松坂屋。上野公園の文化の香りやアメ横の喧騒を思い出しながら静かなカフェでひとときを過ごすのもいいだろう。
地図
上野 (英語)
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東京鉄道地図 (英語)
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東京地下鉄地図 (英語)
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リンク
東京都
東京観光財団
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