Destinations

長崎・雲仙・島原 (ATT.JAPAN ISSUE 28)

早くから海外との交流の深かった長崎では日本、中国、そして西洋文化の融けあう独特の文化が作られました。鎖国時代は、西欧文明の唯一の窓口でした。また長崎は原爆のまちでもあります。4月1日より10月29日までさるく博が開催されています。長崎をぶらぶら歩き、雲仙、島原まで足を伸ばす旅はいかがでしょうか。


長崎さるく博
4月1日より10月29日まで、九州の長崎で長崎さるく博が開催されます。「さるく」とは長崎弁で「ぶらぶら歩く」ということば。さるく博とは、日本で始めての「まち歩きの博覧会」です。
グラバー園や平和公園、一千万ドルの稲佐山夜景、復元された史跡出島、幕末の志士が歩いた中島川や眼鏡橋。長崎にはみどころがいっぱい。南蛮・中国交易、開国、原爆といった歴史をたどる42ものまち歩きコースが設定されています。地元の住民総がかりで作られたユニークなコースをマップ片手に気ままに歩くのもよし。400人を超える多彩なガイドさんに案内してもらうもよし。案内は日本語のものが多いが、英語・中国語・韓国語のガイドもあるので確認してみましょう。芸能や伝統のうんちくをその道の専門家に学びながら歩くという企画もある。



平和を祈る街
浦上地区は、原爆が投下された中心地。上空500mで原爆は炸裂。爆心地から半径2kmはまったくの焼け野原と化した。原爆の爆心地に整えられたのが平和公園。園内に立つ平和祈念像は公園のシンボル。高く空を指す右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は世界の平和をあらわし、軽くまぶたを閉じて犠牲者の冥福を祈っている。長崎原爆資料館では原爆の惨状を伝える資料を展示している。自らも被爆後、何度も倒れながら救護活動を続け、病床から世界平和を訴え続けたのは永井隆博士。晩年をすごした如古堂と、その隣には長崎市永井隆記念館が建つ。1873年に信仰の自由が認められ、250年間におよぶ弾圧から解放されたキリスト信者によって建てられたのが浦上天主堂。1925年に完成したが、原爆により崩壊。1959年に再建された。



西欧文明の窓口
鎖国時代、唯一海外への窓を開けていた長崎。貿易の拠点となったのが長崎港につくられた出島。近代化に伴う埋め立てなどですっかり面影はなくなったが、現在、復元作業が進められている。1641年、オランダ商館が出島に移され、1859年の開国まで218年間唯一の外国への窓として存在した。出島を介して日本に伝わり定着したものには、白砂糖・ビロード・更紗・革製品・毛織物・ガラス製品・トタン・ハム・チョコレート・コーヒー・ビール・果実酒・バターなどがある。ビリヤードやバドミントンなどの遊びも長崎に伝えられた。シーボルトら商館医は日本に西洋医学を伝え、帰国後は日本の風土や民俗をヨーロッパ各国に紹介した。



港を見下ろす小高い丘の上にあるグラバー園。敷地内には9つの洋館が点在する。旧グラバー住宅の内部には、当時の食卓風景を再現した部屋もある。テーブルの上には、鴨の丸煮、伊勢海老スープ、焼き鯛、りんごの赤ワイン煮、野菜のパイなどがずらりと並ぶ。旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅は国の重要文化財。オペラ「蝶々夫人」ゆかりの地でもあり、ヒロインを演じたオペラ歌手・三浦環の像が園内に立つ。
南山手、東山手はかつて外国人居留地として賑わっていた。南山手は外国人の住宅地として使われ洋風住宅や銀行が立ち並び、東山手はポルトガルやプロシアの領事館や礼拝堂などが建てられた。石畳の坂道、石造りの側溝、レンガ塀などに当時の面影を見ることができる。オランダ坂は長崎を代表する坂。一帯は19世紀半ばから20世紀はじめにかけて外国人居留地だった場所で、明治時代の洋館など往時の姿を見つけられるだろう。
石造アーチが美しい眼鏡橋。2連のアーチの形と川面に映る姿とを合わせるとメガネのように見えることから名づけられた。ライトアップされた姿も美しい。



中国文化が色濃く残る街
横浜、神戸とともに日本の三大チャイナタウンといわれるのが新地中華街。旧正月を祝うランタンフェスティバルのメイン会場でもある。鎖国時代は中国貿易が主流となり、中国人も大勢長崎を訪れた。密貿易を防ぐために中国人たちの居留地が設けられた(唐人屋敷跡)。当時5000人の中国人が住んでいた。中華街の南には孔子廟がある。1893年に華僑によって建立された孔子廟。色彩豊かな建物だ。崇福寺は1629年に在日中国人により創建。本堂と第一の門が国宝に指定されており、典型的な中国の雰囲気をかもし出している。



長崎のキリシタン
26聖人殉教の地はキリシタン禁教時代、弾圧に屈することなく信仰を貫いたキリシタンにまつわる史跡。1597年、26名のキリスト教徒が十字架に架けられ処刑された。隣接の記念館ではキリシタン史を物語る品々を展示している。大浦天主堂は1864年建築。国宝。現存するもく族ゴシック様式の教会としては国内最古。祭壇には130年前にフランスでつくられたステンドグラスの淡い光が差し込み神々しい雰囲気が漂っている。



食べ物とお土産
長崎の独特の文化は、味覚においても独特の料理を生み出した。ちゃんぽんは今や長崎を代表する味。揚げ麺にあんをかけた皿うどんとともに人気。魚介とたっぷりの野菜が味わえる。ドライカレー・トンカツ・ナポリタンの3種を1皿に盛り合わせたトルコライスも長崎ならでは。大勢で朱塗りの円卓を囲み、一皿に盛った料理を食べる卓袱料理が有名。お土産にはカステラ、からすみ、特産のびわを利用したびわゼリー。べっ甲やビードロと呼ばれるガラス製品も人気の高い土産品です。透明感がある鮮やかな色合いで、繊細でなめらかな手ざわりに特色がある。



長崎の祭り
長崎ランタンフェスティバルは、中国の旧正月(2月前後)を祝う春節祭。さまざまな形をした中国風提灯が飾られる。長崎くんちは長崎の秋の大祭。諏訪神社を中心に行われる。龍踊りではあたかも生きているかのように龍を操る。



足を伸ばして
ハウステンボス
長崎県佐世保市にあるハウステンボス。17世紀オランダの街並みをそっくり再現したユニークな街です。建物一つひとつのモデルが、本国オランダに存在。花と運河、大きな風車はオランダの田園風景そのもの。一年を通して何百万本もの季節の花々が出迎えます。春のチューリップのあとは、これからなら初夏のベゴニア、マリーゴールド、ポピー、ローズ、あじさいなど。4月から6月の間は、花の祝祭GARAFLORA2006が行われ、なかでも「7人の美しき薔薇の庭」では、華やかに活躍するファッションデザイナー、作家、ヴォーカリストといった女性たちが思い描く庭を個性的に表現。博物館・アミューズメント施設のほか園内に4つのホテル、周辺にも2つのホテルがあり、のんびりとリゾートが楽しめます。ホテルヨーロッパはヨーロッパの美術館を思わせる豪華なインテリアとハイグレードなサービスを誇ります。英語・中国語・韓国語で対応しているアトラクションも多い。木靴に絵を描いたり、オルゴールを作ったりする体験も。毎夜行われる花火は、目の前に広がる海とイルミネーションに彩られた街並みをバックに繰り広げられる壮大なショーです。



雲仙
雲仙は明治時代から保養地として海外にも知られていた。日本で最初に国立公園の指定を受けたところ。島原半島の中央に位置し、8つの山々からなる山岳美で知られる。主峰普賢岳は1990年、198年ぶりに噴火し、溶岩ドームによる標高1468mの平成新山を生んだ。その後火山活動は終わり、登山に訪れる人も多い。山岳美とともに雲仙は温泉郷としても知られる。激しい蒸気と硫黄の臭いが立ち込める雲仙地獄。30分の散策コースがある。



島原
島原半島の東岸にある島原は昔から半島内の経済・文化の中心だった。城下町として栄え、島原城や武家屋敷などの史跡が残っている。
1618年から7年かけて作られた島原城。1964年に復元された5層の天守閣は、郷土史料や民俗資料を展示する博物館となっている。なかでもキリシタン資料館は、島原の乱を中心に南蛮貿易時代から宣教時代、弾圧時代の資料を展示している。重税と弾圧に耐えかねた領民が1637年に起こしたのが「島原の乱」。領民の多くはキリシタンだった。キリシタン殉教に関する史跡が島原半島一帯には散らばる。
島原は、清流のまちとしても有名。1792年に雲仙岳が噴火。この噴火により島原の随所で湧水が湧くようになった。島原城から歩いて5分ほどの武家屋敷跡は下級武士たちが住んでいたところ。通りの真ん中にある水路には湧水が流れる。
雲仙岳の裾野を走る観光トロッコ列車は、4月から11月まで全席予約制で運行。1990年の普賢岳噴火災害の様子や復興の状況、島原の歴史についての解説もつく。雲仙岳災害記念館では噴火の様子を、疑似体験できる。



アクセス
飛行機なら東京羽田空港から長崎空港まで1時間50分。(JAL便:1日4往復)東京からは新幹線のぞみで約5時間で博多駅。特急「かもめ」に乗り換え、1時間51分。長崎市内の交通は路面電車が便利。運賃は100円均一。乗り降り自由の1日乗車券(500円)は長崎駅構内の観光案内所や主要ホテルなどで販売している。

関連スポット

スポットリスト

Recommended Restaurant

Recommended Destinations

Recommended Event

AD

Copyright © 2000-2012 FINEX Co., Ltd.